出会いが加速している。
昨日のこと
⑴木こりの忘年会へ参加する。30人くらいの人たちとワイワイと2次会まで飲む。場の中心にいる人のつながりで集まっていて、一人一人話す機会があって、どんどん繋がってきそう。岩手にこんなに、何かをやろうとしている若い人たちがいたんだと感動する。こんな場、つながりって黙っていたら気付かない。自分が地域づくりで、そういう思いを持って行動したからこその出会いなんだと思った。
二日酔いの日はおとなしくするのが一番。
今日のこと
⑴「この世界の片隅に」を鑑賞。
「この世界の片隅に」鑑賞。ゆっくりとぼんやりとした幸せな生活。そこからの戦争、破壊。何度も涙する。圧倒的な暴力の中では、誰のせい?の問いが無意味になる。
— 銀河 (@ginga_1323) 2016年12月18日
何にも悪いことしてない人たちが犠牲になる。犠牲になった人は、近くにいた人は挙げた拳を振り下ろすところがなく、ぐっと抑えて生活していくしかない。いかつい戦闘機なんかと無縁なのに、無理やり巻き込み、日常を破壊する。それが戦争なんだと。
— 銀河 (@ginga_1323) 2016年12月18日
⑵twitterで知り合ったロッキーさんに触発されて本を買う。
今日の収穫本。空海と道元と、ドゥルーズとデリダについて学ぶ。 pic.twitter.com/ia8kizpbfM
— 銀河 (@ginga_1323) 2016年12月18日
地域づくり会議の忘年会。新たな自分を発見する。
昨日のこと
⑴地域づくり会議の忘年会&歓迎会。3次会まで行って、4時に家に着く。お酒の席で、いろんな人の突っ込んだ表情が見られる。ブータンに2年青年海外協力隊として行っていた人。彼女は、曼荼羅アートにも興味があるらしく、何か繋がってきそうだと思ってLINEを交換する。他にも、地域づくりとして大学に講義している人もいた。中でも凄かったのが、レインボーさんという人。この人は体操指導士として地域の人の健康向上を生業としている。私たちの職種も運動を教える活動をしている。競合すると思いきや、彼は逆にそういう健康志向が根付くことで協力できていると言った言葉が記憶に残る。3次会は一二三というスナック。ブータンの彼女とレインボーさん、私の同期、私の4人。カラオケをレインボーさんと歌って、確か湘南乃風の「純恋歌」のデュエットやって最後は抱き合うという、今までの自分では考えられない楽しくノッている自分がいた。言葉じゃなく、グルーブ感ってこう言うことだよなと思う。
⑵最近は、職場のスタッフのメンタルヘルスについて、そういう本を読んできたので何か協力できないかと、カタカタとpagesで冊子みたいなのを作っている。その一環で、一つ上の先輩に困っていることを聞いてみた。①不安があると固まってしまうこと、②自分を知には、といったことを挙げていた。①を聞いた瞬間にロシアのシステマの強制呼気法かなと思ったり、震災時などの非常時にはバイアスがかかることなどが浮かんだけど、テクニック的なことを教えるだけとも違うなとも思う。一人一人の思想を育む。そこにつなげていけるようなものにしたいなと思う。そして、上から目線にならないように気をつけたい。自分もまた、修行中。そこを忘れないようにすること。。
久々に脳が物凄い勢いで発火した。
今日のこと
⑴twitterで仲良くさせてもらっていたロッキーさんに連絡を取って、電話で1時間密に話し合う。共同体のことや、お互いのやりたいこと、興味があることについて話す。哲学的なことをスラスラと話されていて、触発される。ラカン、フーコー、デリタ、ドルゥーズなど。禅の話が出たので、この間の「盛岡さんぽ会議」で少し話したお寺の住職さんにアポを取ってみると深まりそう。これからも、大阪と盛岡で離れてはいるけど、直感で物凄いシンパシーを感じている人なので、沢山連絡を取りたい。どう生きてきたかも気になるけど、これからのことが一番面白くってわくわくしてくる。久々に頭が飛びそうなくらい発火してる。連絡してみてよかった。
⑵職場のメンタルヘルスについて貢献できないかと思案して、書斎から関係する本を沢山引っ張り出して、pagesでまとめ始める。アウトプットしないと、読むだけじゃ宝のもちぐされ。自分ができることを積極的に表現していこう。部長も交流分析に興味があるので、そこを手掛かりにいけそう。「自分のメンタルヘルスを整える(仮)」のテーマでまずは、自分が満足するものをまとめよう。自分のメンタルを保つことが、患者さんに向き合う時に、高パフォーマンスをすることに繋がる。
共同体は、人の心の中にある
人は、色んなグループに重なり合うように所属している。職場というグループ、友だちというグループ、同級生というグループ。
どこかに属しているという感覚はすごく大切で。それがないと、阻害されてる、必要されてないと思ってしまう。そうなると生きづらくなる。
今の時代は、SNSもできてきて、グループが重なり合い、多層化している。
自分が生きやすい世界を作るには、グループの"広さ"と"深さ"の視点が大事になってくる。
広さ。これは、色んな人と関係をつくること。職場だけでなく、地域で活動して仲間を得るとか、昔の友だちに連絡を取って関係を持続させるとか。そうやって、枝を広げること、増やすことだ。
職場だけしか世界がないと、そこの関係が悪くなるとすぐ落ち込んだり、お互いの関係が悪いだけなのに、自分が悪いと思いこんでしまう。
自分の世界を増やすこと、沢山のレイヤー(層)で生きること。それが、自分の心の逃げ場を作ることにつながる。
「逃げるは恥だが、役に立つ」じゃないけど、逃げていいんだ。避難していいんだ。心が休まったらまた戻ってくればいい。
深さ。これは、なんでも話せる人を一人作ること。二人でもいればサイコーだけど、一人でも十分。
広く浅い関係だけだと、何かで心が参ってる時に、この人たちにとって"私じゃなくてもいいんだ"と思うようになる。いわゆる"代替不可能性"が大事。私じゃなきゃできない、私と入れ替わったらマズイ。そう思ってくれてる人が一人いると思えることが大事。
最後に、気をつけなきゃいけないのが、その関係は自分自身の心の中で起こっていることだということ。事件は会議室じゃなくって、自分の中で起きてることに気づくこと。
共同体は、地域にあるのでなく、一人一人の心に形作るものなんだと思う。昨日の町の人へのインタビューは、すごい収穫があった。大きな絵を描く人が足りない、繋ぐ人が足りない。
— 銀河 (@ginga_1323) 2016年12月15日
周りから、「あの人は沢山の友人がいて羨ましい」と思われてる人が自殺することがある。実際、沢山の友人に囲まれてはいるけど、本人の心の中では「誰とも繋がってない、皆んな表面では仲良くしてるけど、別に自分が特別に愛されてるわけじゃないし、そのポジションに自分がいなくても、その場は成り立つんでしょ」とか思ってたりする。
だからこそ、見た目の関係じゃなくって、自分の心で、繋がっていることを広く、深く感じられることが、すごく大切であって。
そういうのを一人一人の心に築いていくのが、本当の意味での共同体づくりだと思う。